== スポンサー広告 ==

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
┗ --:--:-- ━ Page top ━…‥・

== 浙江省 ==

中国文化の出航!!

先日書いた「杭州湾大橋」を渡った先は、浙江省
寧波
以前までは、杭州湾をぐるりと迂回していた為、
列車とかで4・5時間かけて行っていたのが、
ほぼ半分の時間で行けるようになりました

橋を渡った先の浙江省は、省別GDP中国一の省で、
その中の寧波は以前私が事務所を出していた市です
寧波の南には、プラスチック成型製品生産においては、
世界の工場でもある「温州」といった都市もあります
日本の100円ショップも、この都市に支えられています


寧波の街並
温州は次回に回すとして、今回は『寧波』のご紹介です
寧波は、日本と馴染みの深い関係で、古くからの日本との窓口の港町でした
偏西風の関係もあり、、ここから船出すると北九州へ着きやすく、
そこから瀬戸内へも入りやすかったといいます
あの鑑真もこの港を日本へ向けて出帆したが、
嵐で流されたことがあるのは皆さんもご存知ですよね

アヘン戦争で清が敗れた時に、上海などとともに開港され、
上海はその当時は、人口数千人の寂しい漁村でしたが、
寧波は大きな港町として栄えていました
その後、ヨーロッパとの行き来も活発になり、中国でも有数に
大きく美しい教会が今でも残こっています
鑑真御一行


古くから日本への中国文化の風は、この寧波から吹いてきました
遣唐使たちはここに上陸して、遠く都・長安(現在の陝西省西安)、
僧であれば五台山などを目指し、徒歩で数カ月かけて歩んでいきました
お茶の伝来も、勿論中国からでして、鎌倉時代の僧「栄西」が茶の種(木)
を持ち帰り、植えたのが日本でお茶栽培の始まりとされています
また飲み方も伝え、『喫茶養生記』という書物を残しました
じつはこの「栄西」も、天台山で学ぶために寧波の港に入り
そして帰国したうちの一人です
中国はちょうど宋の時代で、お茶の飲み方は、今でいう抹茶の飲み方でした

最澄
でも実は、初めて日本にお茶を持ち帰ったのはもっと古く、
遣唐使の頃に最澄が、同じく寧波より持ち帰りましたが、
この時は日本には馴染まず、定着することはありませんでした

聖一国師
日本の茶道のもとになったといわれる、中国の禅寺での茶事を日本に
文献として伝えたと言われるのは、京都・東福寺を開山した「聖一国師」です
博多の寺院の僧であった彼は、日本に帰化していた中国貿易商のスポンサー
を得て、徑山寺(浙江省)にて学び、禅寺でのお茶の様式を持ち帰りました
彼もまた、寧波に入り、日本へと戻った一人です

普陀山
中国仏教四大名刹の一つ「普陀山」は、以前もご紹介しましたが寧波の
沖に浮かぶ島のひとつで、「普陀佛茶」という銘茶が今でも作られています
普陀山
ここの開山のきっかけとなったのは、唐代の日本人僧「慧顎」
寧波から五台山(山西省)に学び、観音を日本に持ち帰るため寧波を船出、
しかし嵐で船は進まず、観音が中国を離れることを嫌っていると考え、
その観音を寧波の沖の島に祀った。それが普陀山の開山とされています
この辺は、以前もご紹介したのでご存知ですよね?


寧波港
現在の寧波は、規模では上海に負けるとはいえ、中国有数の
コンテナーターミナルを持つ大きな港町として栄えています
この海上大橋の完成で、北と南の陸上輸送が活発化することになり、
寧波はこれから先も発展していくことでしょう

<中国茶メモ>
普陀佛茶(ふだぶっちゃ・浙江省)
 寧波の沖合いにある島、中国仏教四大名刹の一つ・普陀山で
 作られているお茶で(原点は)、茶葉は緑色で少し黒みを帯びて
 湾曲しており、白毫もまじり、産毛が多いのが特徴です
 爽やかな飲み口で、味に丸みがあり、甘い香りが残ります
 日本人にもなじみやすいお茶のひとつです
普陀佛茶
普陀佛茶


それでは、また次回!
(・ω・)ノ 再見~♪

┃ テーマ:みんなに紹介したいこと ━ ジャンル:ブログ

┗ Comment:0 ━ Trackback:0 ━ 16:44:16 ━ Page top ━…‥・

== Comment ==






        
 

== Trackback ==

http://momotaroublog.blog39.fc2.com/tb.php/254-4bdc81a8
 
Prev « ┃ Top ┃ » Next
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。