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== 山東省 ==

臨沂市!!

本日は臨沂市になります   \(^▽^ )
臨沂市
臨沂市(りんぎし)は、山東省東南部に位置する地級市です
市名は沂水(ぎすい)という河川に由来していて、
山東省で面積・人口共に最大を誇ります
(総面積17,186km²、総人口約1,012万人)
中国でも10位以内に入る人口規模を有す行政区であり、
その99%が漢族で、残りが30以上の少数民族になります
臨沂市位置

市域内は山地、丘陵、平野が平均的に広がっており、同市にある
「蒙山」は、山東省内では泰山に次いで高い山地であり、険しい峰と
豊かな森林からなる景観は泰山にも劣らないと言われています
また、気候は温暖で四季がはっきりしている為、その主産業は
第一次産業(農業)で、巨大な農業発展基地がいくつも建設されて
いて、中国国内のみならず海外にも出荷されています
(日本にも茄子や大蒜など、沢山入ってきています)

臨沂市人民広場
市内の中心には、1990年代に軍の兵舎跡に建設された
人民広場があり、東西500m、南北300mの大きな広場には、
ショッピングセンターやエンタテインメント施設が立ち並んでいます
また、市の北側には、当地出身の書家「王羲之」を記念した公園もあります

と、一番大事なのを忘れておりました(笑)
ここ琅邪郡陽都(臨沂市沂南県)は、「伏龍」先生の生まれ故郷なんです!!
伏龍、またの名を「臥龍」とも呼ばれ、三国の世において政略・軍略に
優れ、最も(知らない人はいない程)高名な軍師、『諸葛亮孔明』です
諸葛亮孔明(中国文献図)

性は諸葛、名は亮、字は孔明
諸葛珪の次男として生をなし、兄弟には呉に仕えた諸葛瑾(兄)、
蜀漢に仕えた諸葛均(弟)、その他に妹がいたそうです
小さい頃、曹操が起こした徐州の大虐殺の為、家等を焼かれ
叔父・弟と共に荊州へ移ることになります
荊州では晴耕雨読の暮らしをしていた亮ですが、友人徐庶の
進言により、劉備のもとに仕える事になります(ご存知「三顧の礼」)
この後の諸葛亮の働きは皆さんもよく知られていると思います
(赤壁の「矢10万本」と「東南の風」は演義での作り話みたいですがw)
蜀の英雄達

その評価はかなり高く、裴松之「諸葛亮が魏に仕えて能力を発揮して
いたら、陳羣や司馬懿でも対抗できなかっただろう」や、南宋の朱熹の
「孟子以降の人物としては張良と諸葛亮がいるのみである」等、
多数の書物で絶賛され、演義においては呉の名軍師「周瑜」に
「既生瑜、何生亮!?」(天はこの世に周瑜を生みながら、
なぜ諸葛亮をも生んだのだ!?)と言わせしめるほどでした
諸葛亮 byレッドクリフ

また、諸葛亮は発明家としても知られていて、晋時代に普及した筒袖鎧や
連発式の弩を工夫した「元戎」(この弩は同時に十本の矢を発射できた)、
一輪車の起源とされる「木牛」、四輪車と言われる「流馬」、「諸葛錦」、
駐留時栽培させた「諸葛菜(蕪)」、字を知らない民用に紙芝居、
おもちゃ「孔明鎖」、「孔明灯」などがあるといわれています
ただし、よく聞く話で「饅頭」を発明したのは諸葛亮と言われていますが、
(諸葛亮が南蛮征伐の際、人頭を祀るという風習の代りに、
 人頭の代替食品として、小麦の練り物の内部に肉団子を
 包み込み、人頭に見立てて川の氾濫を鎮めた等のお話)
これは、宋代の類書『事物紀原』に「小説に曰く」と前置きして
書かれている話であり、それ以前に饅頭があった事から
後から付け加えられた話だと言われています


沂南諸葛亮像(臥龍公園)
諸葛亮像
諸葛亮の生誕の地として、市が建てた観光スポットの一つです
ここには像と像の後ろに壁画があるだけで、あとは庶民の憩いの場として、
ブランコ等の施設や、結婚式の写真撮影などに使われていたのですが、
2005年に臥龍公園と名前が付けられた次点で、有料になったようです
(壁画は14枚あり、「生誕」~「巨星堕つ」までになっています)


諸葛亮故里
諸葛亮故里
1992年に40万元を投資して沂南県に作られました
敷地面積2700㎡で、建物は古式建築になっています
門をくぐると庭園になっており、本堂までに諸葛家の家系図や
孔明像等がならべてあります
(邸内には樹齢千年以上たっているイチョウの木もあります)
諸葛亮故里
またここには、陽都城遺址の簡易地図もあり、「曹嵩墓」の
所在が記載されていて、壁画(コピー)をここでも見る事が出来ます


曹嵩墓
曹嵩墓
曹嵩とは曹操の父親で、曹嵩墓は曹嵩が殺されたと言われる場所です
紀元193年の夏、曹操の父である老宦官の曹嵩は、首都の戦乱を
逃れるため、家族と共に徐州の琅邪郡陽都に避難します
曹嵩は宮廷でかなり高い位に居た為、沢山の財宝の品を持って
いましたが、その当時徐州辺りを統治していた「陶謙」が、
曹嵩の財物の事を聞きつけ、手に入れようと企みます
曹嵩はその事を知り、逃げようとしましたが間に合わず、
陶謙の兵に殺され、財物はを奪われてしまいました
逃げようとする曹嵩

この時曹操は袁術と河南方面で戦っておりましたが、父死去の
知らせを聞き、袁術戦に勝利後、山東定陶県まで軍隊を呼び戻しました
軍を率いて徐州を攻撃する曹操軍は強く、すぐに彭城郡の傅陽県を
攻め落としました(彭城は今の徐州市です)
陶謙が郯県に後退して防戦したのですが、これを曹操は攻略出来ず、
軍用食糧は残り僅かになり、その上青州の田楷・劉備などが援軍として
来た為、曹操は軍を退却せざるおえませんでした
曹操、鬼人の如し

退却の際、曹操軍は進路上にある5つの大きな街全てに攻め入り、
虐殺及び略奪を行いました(その数、女子供問わず数十万人)
それは、金品・食料だけに留まらず、鶏や犬などの家畜にいたっても
根こそぎ強奪し、5つの街は復興出来ないほどの廃墟となりました 
曹操軍の略奪

曹嵩墓には、先程の壁画(原版)が置かれているだけで、
他に何もなく、地元の人たちもこれが何なのか知らない様子です
(曹嵩墓壁自体は、国家一級保護指定を受けています)
でも、もし曹嵩が殺されていなければ、劉備と諸葛亮が出会う事なく、
下手すれば魏に諸葛亮がいたかも知れませんね


銀雀山漢墓竹簡博物館
銀雀山漢墓竹簡博物館
新中国建国後の十大発見の一つと呼ばれる、竹簡孫子が出土した所です
銀雀山1号墓と銀雀山2号墓が発見され、大量の出土品が出ました
その中でもかなり重要だったのが、大量に出土した竹簡で、
筆写時期は前漢時代の文帝・景帝から武帝初期の時期と考えられ、
その数は文章が判読できるものだけで5千点近くもあり、その中に
「孫子兵法」「孫臏兵法」「六韜」尉繚子」などがありました
銀雀山漢墓竹簡博物館
これらの発見により、孫臏の兵法書は紀元前2世紀頃には
出来ていた事になり、今迄の歴史記録を覆す大発見になりました


顔真卿故里
顔真卿故里
性は顔、名は真卿、字を清臣といい、中国唐代の屈指の忠臣で、
代表的な書家である文人です
顔氏(一族)は、代々学問で知られ、また能書家が多く、世に「学家」と
称されるほどで、真卿は初唐以来の流行である、王羲之流(院体)の
流麗で清爽な書法に反発し、「蔵鋒」の技法を確立しました
顔真卿
力強さと穏やかさとを兼ね備えた独特の楷書がその特徴ですが、
ただしその字形は当時標準とされた楷書とは異なり、叔父「顔元孫」が
編纂した「干禄字書」の規範意識に基づく独自の字形を持つものも多く、
正統的な王羲之以来の楷書の伝統を破壊するものであったため、
評価の中には、賞賛と批判が入り混じっています
顔真卿 書体
ですが、これらの楷書は「顔体」(顔法、北魏流)として、
楷書の四大家(欧陽詢(欧体)、柳公権(柳体)、趙孟頫(趙体)、顔真卿)の
一人として、後世に大きな影響を与えました
顔真卿の影響を受けた書家の中には、
弘法大師(空海)・井上有一・榊莫山らがいます
(追記:同族に後漢の武将「顔良」がいます)


その他にも多数の観光スポットがありますが、
長くなりましたので、今日もこの辺で
(^・ω・^)ノ see you next!!





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== Comment ==

こんにちは!
ももたろうさん お元気でしたか?
ご無沙汰してすみません^_^; 私は最近 鹿児島と屋久島を行ったり来たりしています。

ももたろうさんのブログは歴史の勉強にも
なりますね(^_^)v いつも すごいな~と思ってみています。
でも わたしの頭では ちゃんとしたコメントができなくて・・ごめんなさい!
それでは またお邪魔しますね。。
頑張ってくださいね!(^^)!
No title
なるほど、ここが古の琅邪なんですね。
王羲之で有名な琅邪王氏の王敦、王導などを思い浮かべております。
比呂 様
今晩は~!比呂様もお元気でしたか?コメント有難うございます!鹿児島と屋久島ですか、いいですね~!鹿児島と言えば、私も志布志の水の総代理店となり中国全土で販売してますよ~!今後ともお気兼ね無くコメント下さいね~宜しく!
西森憲司 様
コメント有難うございます!流石は先生、何でもよくご存知ですね~!逆に、教えて頂かないと.....(汗)今後とも宜しくお願い致します!
No title
山東省は、諸葛孔明の出身地だったんですか・・・無知でした
さらに孟子も(驚)

しかし臨沂市という名前、初めて聞きましたが、歴史的な遺産を残しながら、近代的な大都市なんですね。
こんなころにこんな都市があることに中国の懐深さを感じます。

オバrev 様
ご訪問&コメント有難うございます!今日の上海、北京等でも山東出身のやり手、著名人が多いようです!今後とも宜しくです!





        
 

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