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== 山東省 ==

烟台市!!

今日は烟台市です \(^▽^ )
烟台市
烟台市(煙台市)は以前もご紹介していますが、
先週から山東省できていますので、もう一度ご紹介します

烟台市は山東省に位置する地級市で、山東半島東部に
位置する港湾都市で、位置的にはちょうど青島市の東隣です
山東省最大の漁港であり、最初期に対外経済開放(つまり外国に解放)
された沿岸都市の一つですので、産業都市としても発展しています
市の名前の由来は、明の洪武帝が治めていた1398年(洪武31年)頃に、
倭寇対策のために警報の狼煙を上げる塔が建設されたことによります
烟台市
区:芝罘区、牟平区、莱山区、福山区
市:龍口市、海陽市、蓬莱市、莱州市、莱陽市、招遠市、栖霞市
県 :長島県

4区・7県級市・1県から構成される烟台市は、
古くは新石器時代より東夷族が居住していた事がわかっており、
東夷族が夏朝の時代に国を建てたといわれています
殷、周、春秋時代には莱国の地とされ、戦国時代には斉の領土でした
(莱国の中心地は、莱州市にあったとも言われています)
そして1858年7月、清が天津条約を結んだ際に、それまで登州と
呼ばれていたこの地は、「烟台」と改名され西洋諸国に開港されました
その後1861年5月に外国商人たちに対して(一般)開港しましたが、
正式に国際貿易港として開港したのは、要塞・東海関の竣工に
あわせた8月22日だったようです
烟台港
その際に17カ国が領事館を設置し、1876年にはイギリスと「芝罘条約」が
結ばれ、漁港だった煙台はイギリスの条約港となり急速に都市化しました
20世紀初頭には、山東半島全域でドイツ帝国の力が強くなり、烟台も
ドイツに支配されていましたが、第一次世界大戦でのドイツの敗戦により、
煙台はアメリカ海軍のアジア艦隊の夏の駐留港となりました
日本も交易のために煙台に拠点を置いていましたので、市内の政治や
建物の様式に両国の影響が出ました
その後も中国革命(辛亥革命)などにより、色々と名称は変わりましたが、
(東海道と呼ばれている時期もありました)
中華人民共和国建国後、再編され地級市となり、1984年に対外開放しました

街が霧に包まれます
烟台市はその地理条件から、古来より海市蜃楼(蜃気楼)現象が
多い地域(特に蓬莱市)の一つです
蓬莱の由来は、前漢武帝が巡幸・築城した際に「蓬莱」と命名
されたのですが、おそらく海の上に突如現れる島(たどり着けない)を
見て、「あれがかの蓬莱山」と思い、付けられたのではないか
という説もあります(「八仙、海を渡る」の説もありますが)
蜃気楼


それでは観光スポットのご紹介です
「烟台山(公園)」
烟台山公園
芝罘区の北部に位置する,市内の主な風景観光地の一つです
この山峰に狼烟台(即ち烽火台)が設けられました
1861年の開港時、英・米・日・仏などの十数ヶの国は、
次々に烟台山とそれより東の海岸に領事館や経堂、病院、郵便局、
学校、銀行などを建設し、次第に外国人の“居留区”を形成しました
現在も外国の領事館と、それらに属する27の建築が完備に保存されており,
今は国家クラスの重点的な文化財保護区になっています


「毓璜頂公園」
毓璜頂公園
市内の高台に造られた公園で、市民の憩いの場所になっています
坂の上には元代に創建された「玉皇廟」があり、内部には泰山で
採取された珍しい石が展示されています
玉皇廟の隣には「玉皇閣」があり、最上階から眺める夜景が
すばらしい事でも有名です
毓璜頂公園からの夜景


「雲峰山」
雲峰山
莱州市街から東南7.5kmの所にある、莱州で一番高い山です
またの名を「文峰山」・「筆架山」ともいいます
雲峰山には北魏時代の碑文や石碑があり、その中でも有名な
『郑文公下碑』は永平四年(511年)の物だそうです
これらの碑文は「北魏三大宝庫」の一つとして、中国書道の歴史の
上で重要な位置にあり、中国古字体を研究する上での貴重な
資料として、国の重要文化保護をうけています
雲峰山


「大基山」
大基山
莱州市街から東南12kmの所(雲峰山の向こう側)にある山です
古来より道教(道士・女同士)の修行場として有名で、
道教の寺院や遺跡が多数健在しています
また、歴代の石刻が多く残っており(24ヶ所)、なかでも
《登大基山詩》《中明之壇》等が有名です
1988年、国務院に国家級文化財保護部門に指定され、
1992年には、大基山は森林公園として保護されました


「徐福郷里」
観光スポットではないですが、烟台は「徐福」の出航地といわれています
日本古代史を知っている人で、「徐福伝説」を知らない人はいないと
言われるほど、日本に関係の深い人物です
特に「縄文・弥生時代」に関心の深い人にとっては、彼らが本当に
日本にたどり着いたのかどうか、興味を轢かれるお話でもあります
徐福

そのあらましは、「紀元前219年、秦の始皇帝の時代に童男童女500人を
含め総勢3000人の集団を引き連れ、仙人と不老不死の仙薬を求めて
中国大陸から東方の桃源郷日本へ旅立った一団がいました。
それを先導したのが秦の始皇帝からその命を受けた「徐福」であった。」
というものです

徐福の伝説(漂着地)は、日本各地に点在しており、特に当時大陸との
交流の窓口であった西日本の日本海沿岸に、特に数多くの説話が
語り伝えられています
徐福は、医薬、天文、占いのほか、漁業や農耕の技術なども
その土地の人たちに指導し、住民に大層親しまれたそうです
元を正せば、日本と中国の交流は、彼が架け橋となったのかもしれません
徐福、秦の始皇帝より命を受ける

資料によれば、徐福達一行は煙台市の蓬莱から旅立ったといわれ、
数年に一度「徐福故里文化節」が行われ、煙台と日本の友好交流も
伝統として継承され続けています


それでは、今日もこれまでです
(^・ω・^)ノ またね~~♪




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== Comment ==

No title
萊という地名にはなじみがあります。斉の晏嬰は萊の夷維の人とであるとのことですから。夷維というのは、現在の高密市であると聞いていますが、どうなんでしょうか。
斉・魯の夾谷の会の際、孔子が來人たちを叱責したなどという話も思い出しました。
西森憲司 様
コメントありがとうございます
斉の名宰相で、孔子も高評価していた「晏平仲(晏子)」ですね
萊国の夷維の場所ですが、調べてみましたら山東省濰坊市高密市あたりで間違いないようです
(はっきりとした範囲は解っていませんが、古書の記載地域とあっているようです)

晏子は「羊頭狗肉(正確には『牛頭馬肉』)」の生みの親ですし、
逸話「梁甫吟」の詩を、諸葛亮が良く口ずさんでいたことも有名で、
とても偉大な人物ですよね(日本ではあまり知られていませんが)

No title
こんにちは

徐福伝説は日本の九州でもよく聞きます。
日本に与えた影響は大きかったと想像できます。
煙台まできたら威海はもう隣町ですね。
煙台は飛行機場からはいつも来るまでまっすぐ威海に帰ってくるので町は知らないのですが、結構見るところがありそうですね。
今度時間があれば行ってみます。
ごーさん 様
いつもコメントありがとうございます

九州沿岸や中国地方には色々と徐福伝説が残っています
(どこがほんとやねん!と突っ込みたくなるくらいにw)
ですが、徐福が日本の天皇の祖先(神武天皇)であるという説が
納得いかない人も多いみたいで、否定的な意見も多いです
ぜひ機会があれば、訪れてみてくださいね
現地のガイドさんが言っておりました。
>倭寇対策のために警報の狼煙を上げる塔・・


私の行った1週間前に中国政府の高官が保養来ていたようで交通規制で大変だったそうです。
煙台滞在は100%ビジネスだったからなぁ・・歴史関係については全然触れることができませんでした。(^^;;
例によって画像の整理が悪くて煙台関係の写真が出てこないのですが見つかったら私のブログにも載せますのでどうぞ遊びに来て下さいませ。(*^^)
よっちゃん様
コメント有難う御座います!楽しみにしています、今後共宜しくお願い致します!





        
 

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