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== 甘粛省 ==

武威市!!

今日は武威市です (^▽^)/
武威市
武威市は甘粛省の中部に位置する地級市で、
祁連山の北麓、河西回廊の東部にあります
ここは匈奴(西羌)の地でしたが、前漢の武帝の時代に匈奴を駆逐し、
「武帝之威河西に到達す」として武威郡が設置され、張掖郡、酒泉郡、
敦煌郡とあわせ、河西四郡と称されました
漢以降も、中国と西域の接点で有り続け、シルクロードを往来する商人
たちが雲集しており、中国に仏典を伝えた「鳩摩羅什」や「玄奘三蔵」も
立ち寄ったことがあり、武威市には仏教文化が隆盛を極めていました

<市データ>
面積:33,3249km²
総人口:約193.45万人

武威市にはたくさんの遺跡・寺院跡が存在しますが、特に見所なのは
雨を祈願した場所である「雷台漢墓」、高僧鳩摩羅什を記念した塔
「羅什寺塔」、甘粛省最大の孔子廟「文廟」などが有名です

「雷台漢墓」(れいだいかんぼ)
雷台漢墓
現在は雷台公園の一部となっていますが、武威市の北関中路にあります
明代に雷神を祭るために雷祖廟が創建された事により、「雷台」という名が
付けられましたが、雷祖廟が造られる前は、前涼王の張茂(在位320-324)も
霊均台を築いて宮殿を造営していたと伝えられていて、この場所は
風水的か霊的に特別な位地であったと推測されます
1969年10月には雷台の下から後漢代末期の大型の煉瓦の室墓
(張一族の墓地)が発見され、230点余の出土品が発掘されました
なかでも、飛燕を踏む青銅製の奔馬は見事な造形で、先日紹介した
蘭州の甘粛省博物館に展示されているものはこれです
雷台公園
公園内は「食文化エリア」「歴史文化エリア」「民俗文化エリア」
「娯楽・休憩エリア」「花、鳥、魚の販売エリア」「サービスエリア」の
六つのエリアに分かれていて、見どころはシルクロードの彫刻群、
詩思入涼州書画院、儀式に集まった天馬の彫刻群(写真)、
九天霊泉瀑布の築山、観瀑榭、西涼楽園歌舞ホール、
把盞聴涛閣、酔聴堂、五神宮、八仙閣、仙泉亭など30以上もありますw
水辺には8つのアーチ型の石橋が架かっていて、中でも雷台湖は
この公園のメインスポットとしてカップルにも人気です
湖の中央部に黄土を盛って造った雷台があり、
清代に造られた雷祖廟が建っています


「羅什寺塔」(らじゅうじとう)
羅什寺塔
羅什寺は武威北大街にあり、高僧「鳩摩羅什(クマラジーヴァ)」が
経典を翻訳し、武威に仏法を広めた功績を称えて建てられました
最初に建てられたのは後涼時代(386年から402年)で、唐代に
大幅に増築され、明、清代にも手が加えられています
明代には陝西涼州の大寺院となり、英宋皇帝が
正統10年2月15日に羅什寺に大蔵経を与えました
その際の詔の内容はそのまま武威市博物館に保存されています

羅什塔は1927年の大地震で倒壊し、1934年に建て直されていますが、
現存する羅什寺の塔は八角形で12層、高さは32mで、細長い四角の
煉瓦を積み上げて造られていて、下から三層目、五層目、八層目には
門がなく、塔の一番上には瓢箪型の銅製の宝瓶が付いていて、
最上階には東西に小さな仏龕があり、中には純金の仏像が納められています
この塔は武威古城の文明と悠久の歴史のシンボルで、また2500年以上も
前のシルクロードで東西文化の交流があった証でもあります

鳩摩羅什尊者
鳩摩羅什尊者は、中国への仏教伝来へ最も貢献のあった僧のうちの
ひとりで、インド人を父、亀茲国王の妹を母として亀茲に生まれました
その高名は遠く中国にもおよび、前秦の「符堅」は将軍呂光を西域に
派遣し、その地の討伐と鳩摩羅什を連れ帰ることを命じたほどです
ところが、呂光は帰路、前秦の滅亡を知ったため涼州(現、武威)に
留まり後涼国を興します
そのため、鳩摩羅什は長安に行くまでの約16年間をこの地で暮らし、
長安に入ると草堂寺に拠り、三千人の僧と共に97部427巻の仏典を
漢訳されました


「文廟」(ぶんびょう)
文廟
文廟とは孔子廟のことで、武威市の市街地の南東端にあります
創建は明の正統4年(1439年)で、その後何度も増築が繰り返され、
現在の大きな規模になりました
文廟は南向きで、もとは東西に並んだ三つの建築物から構成されていて、
東の建物が文昌官、真中が文廟、西側が涼州府儒学です
現在、文廟と文昌官は完全な形で保存されています
敷地総面積は1500㎡あり、歴代の文人たちが孔子を祭っています
武威市博物館
1981年9月1日、甘粛省政府から重要文化財に指定された後、
敷地内に武威市博物館が造られました
館内には歴代の書物や書画、碑文などの文化財3万6千点あまりが
収められ、中でも漢の木簡、木彫、ミイラ、銅奔馬、鳩杖、涼造新泉、
西夏碑、西夏銅火砲などが有名です
また、7つの展示室もつくられ、歴史文化財が説明書きや説明図付きで
展示されていて、新石器時代から明、清代までの武威の歴史を簡単に
紹介しています(ですが・・・当然中国語です(笑))


「大雲寺銅鐘」(だいうんじどうしょう)
大雲寺銅鐘
市街の東北隅の鐘楼にあるこのお寺は、別名大雲寺暁鐘とも言います
鐘楼は明代に建てられたもので、大雲寺はもともと「宏藏寺」と呼ばれて
いましたが、武則天が皇帝となった際に、全国に大雲経を供奉させた為、
この寺も名を大雲寺と改名しました
大雲経とは女帝の出現を予言した経典といわれ、武則天はこれを大いに
喧伝しましたが、実際は武則天に取り入った者達の偽作だったという事です
銅鐘
鐘は高さ2.4m、口径1.45m、厚さ10cmほどで、銅の合金で出来ています
写真では判りにくいのですが淡い黄色をしており、上が細くて下が太く
腹部がふくらんでいる通常の釣鐘型で、鐘の外側の図案は三層に分かれ、
上から、飛天、天王と鬼、竜と天王の順に描かれています


「海蔵寺」(かいぞうじ)
海蔵寺
郊外になりますが、市内から2.5キロのところにあります
創建は晋代と言われていますが、確定はしておらず、
その規模の大きさは武威随一を誇ります
大雄宝殿は清代に再建されたもので、その後方に一辺50m、
高さ6mの霊均台が創られていて、その上に無量殿と天王殿が
建っています(無量殿は明代の建物)
その名の由来は、もともと霊均台(寺)の周りには泉が湧き、
木々が生い茂っていて、まるで海の中に隠された寺のようで
あった事から「海蔵寺」と命名されたと伝えられています

武威の観光業の発展によって、現在海蔵寺の外には海蔵公園が
造られており、千年の時を刻んできた寺院に新しい一面が
加えられ、武威市の一大観光地になってきています


「天仏寺石窟」(てんぶつじせっくつ)
天仏寺石窟
こちらも郊外で、市内から50キロ離れた中路郷灯山村にあります
中国でも早期に造られた石窟の一つで、五胡十六国の北涼の時代に
造られ始め、代々規模が拡大していきました
学者によっては「中国石窟の開祖」と呼んでいるその石窟内には、
数百㎡の壁画が保存されています
現在三つの洞窟、大小17の仏龕、100体あまりの仏像、そして魏、隋、唐の
時代の漢字とチベット文字の写経、初唐の頃の絹に描かれた絵画など
貴重な文化財が残されており、中でも大仏窟如来坐像は高さが30mもあり、
大仏の左右には、精巧に造られた迦葉、阿難、普賢菩薩、文殊菩薩、
広目天、天王六尊の像が控えて、とても見事です
黄羊河ダム建設時に大部分の仏像や壁画、経典などは、
省の博物館に移されたので、現在石窟には大仏、中心柱、
仏龕、壁画の一部が残っているだけとなっています


雷台公園
いかがでしたでしょうか? 日本ではあまりなじみの無い地域ですが、
(シルクロードファンにとっては、当然の地域かも知れませんがw)
西域と中国の境目に当たる地域ですので、さまざまな遺跡や
歴史文化が残っている地域です(甘粛省は)
もし機会があれば、シルクロードの旅としてでも
訪れてみてくださいね、それでは(^・ω・^)ノ またね~♪




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