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== 貴州省 ==

貴陽市!!

今日は貴陽市のご紹介です
貴陽市
と、その前に遅ればせながら『今月の一曲』新しくなってま~す(^ω^)

では、本文を(笑)
貴陽市は貴州省にある地級市で、貴州省の省都になります
総面積8,046k㎡、総人口約345万人のこの都市は、森林面積が広く、
気候が一年中爽やかで、気温の変化があまり激しくありません
気候のほかに貴陽市は地理的条件にも恵まれており、都市部は
ビルが立ち並び近代化していますが、郊外にはたくさんの
観光スポットや風景区、貴重な文化財などがあり、そのため
ここは中国の西南部の有名な避暑地になっています
(2006年6月には、政府から「避暑地」として指定を受けています)
貴陽市地図

市の名前の由来は、昔の陰陽道の法則によって決定しました
陰陽道では山の南側と川の北側を「陽」、山の北側と川の南側を
「陰」としていた為、貴山という山の南側にあったこの地域は
貴(山)の南側(陽)ということで、『貴陽』と名づけられました

苗族(ミャオ族)
貴陽市には漢族以外に、ミャオ族をはじめ数多くの少数民族が
暮らしていて、毎年の各民族の祝日や祭りは盛大に行われ、
だれでも参加することができます
貴州の民俗風習の中に「ヌウオ戯」という芝居があり、
これは中国芝居の元祖と呼ばれていて、現地の住民は
盛大な祭りの時には、必ずこの芝居を上演します
祭りの時期になると、たくさんの観光客が
これを見るため貴陽市にやってきます


「甲秀楼」(こうしゅうろう)
甲秀楼
貴陽市の南明河の「亀の岸」と呼ばれる所に建っている美しい楼閣で、
三層構造からなっており、高さは20m余り、反り返った屋根と、
12本の石の柱と彫刻を施した白い石の欄干が特徴です
明の万暦26年(1598年)、南明河に堤防を造って両岸を結び、
風水に基づいて楼閣を建てたのが始まりで、
「科甲挺秀(科挙試験の成績がずば抜けていること)」という
言葉にちなみ、「甲秀」と名づけられました
その後天慶元年(1621年)と清の康煕28年(1689年)の2度にわたり
焼失してしまいましたが、その度再建されています
甲秀楼はこれまでに6度の大規模な修復工事が行われていますが、
約400年の間その姿を保ち続けています


「黔霊公園」(けんれいこうえん)
黔霊公園
貴陽市の北西約1.5kmに位置している公園で、面積は約300㎡あります
象王嶺・檀山・大羅嶺等の連山から形成されていて、山頂は第4氷河期の
氷河によってV字型に削られた跡があります
この公園内には、貴州を代表する仏教寺院の一つ「弘福寺」があり、
元々この地には弘福寺しか無かったのですが、中華人民共和国成立後に
公園として整備され、今の形となりました
山には多種多様な植物や漢方薬材が見られ、また多くの鳥類や
アカゲザルの群れも生息しています
その他園内には動物園もあり、100種近くの動物が飼育されています

弘福寺
弘福寺へは「九曲径」と呼ばれる登山道を登っていきます
(登山道は整備されていますが、石段の数が368段ほどありキツイかも)
340年ほど前の清の時代、赤松という法師が、貴陽にやってきました
この法師は、西北部の山に松をいっぱい植え、この山を霊験あらたかな地
として、人びとから資金を募り、康煕11年(1672年)に弘福寺を建造しました
信者たちは仏様を拝むため、相次いでここにやってくるようになり、
弘福寺の名も知られはじめ、貴州省で一番有名なお寺となりました
現在でもこのお寺は、古くからの伝統に基づいて、
昔通りの作法で日常の活動が続けられています


「花渓公園」(かけいこうえん)
花渓公園
花渓公園は貴陽市から西南17kmの所に位置する自然公園で、
もともと「花コーラオ」と呼ばれていました
ここには漢民族・ミャオ族・プイ族・コーラオ族などが暮らしており、
特にコーラオ族の女性たちが派手な服装を好むことから
この名が付いたといわれています
「南明河」は広順から貴陽へと流れ込んでいる川ですが、その間の
龍山峡から済番橋までが「花渓河」と呼ばれており、園内を流れる川は
透明度が高く川底が透けて見えるほどで、たくさんの魚が泳いでいます
その流れは時には滝となり、細い流れとなり、渦を巻くなど、様々な
景観の変化を楽しむことができ、川の両岸には美しい峰々がそびえ、
河の深いところは舟遊びをすることも出来ます
園内の山は小さいながらも変化に富んでおり、美観地区内には
「麒麟」・「鳳凰」・「亀」・「蛇」と呼ばれる四つの山があります


「紅楓湖」(フンフォンフー)
紅楓湖
貴陽市街から33kmの所にあるカルスト湖です
島の数は100以上あり、カルスト地形と山紫水明の風景が特徴の
国家クラスの風景名勝区で、貴州省中部の真珠とたたえられています
この湖は1958年にダムと発電所を建てるときに築かれました
湖岸には紅楓嶺があり、この山の上や湖の周辺に楓の木が多く、
秋になると楓の葉が赤くなり、赤い楓と青い湖が美しく照り映えるため、
「紅楓湖」と名づけられたそうです
また、風景区にはミャオ族やトン族、プイ族の村があり、ミャオ族の住居
である「吊脚楼(山間部に見られる高床式住居)」や、トン族の鼓楼と
「風雨橋(雨が多い地域のため、屋根をつけた大きな橋)」、
プイ族の石の板でつくった家が重なり合って趣があります

藻が大量発生
この湖は北湖、南湖、中湖、後湖から成っているのですが、
その一部では、近年周囲の石炭工場などの工場廃水や市民の
生活廃水により、水苔などが群生し、昔のような澄み切った
水の色ではなく、無残にもどんよりとした緑色の“死んだ湖”
と激変してしまいました
この水質汚濁の主な原因としては、工場廃水や生活廃水は
もちろんのことですが、近くの“火力発電所”から排出される
廃水が一番の原因として、排気設備の完備されていない
“火力発電所”に対して政府は対策を講じていますが、
一度失った自然を取り戻すにはまだまだ時間がかかりそうです


「青岩古鎮」(せいがんこふん)
青岩古鎮
約360年の歴史を持つ明清代の古楼・石畳・古寺庙・石牌坊・古民家・
古木などが見所の貴州省の割りとメジャーな古鎮です
青岩には明洪武六年(西暦1373年)頃、貴陽と定番(現在の惠水縣)を
結ぶ道の中間点に、軍の公式文書を送る「鋪」と軍の状況を伝える
「塘」が設置され、「青岩屯」と名付けられました
その後、明太祖朱元璋が雲南、貴州へ遠征時に明の大群がここに駐屯、
農民も流入し、「青岩堡」となり、その後、明万暦年間に古鎮の建設が
始まり、周囲には石造りの城壁も建てられました

<見所>
・青岩八牌坊
 古鎮の東西南北四箇所の門に八つの石牌坊があったが、1960年代に
 五つが破壊され、現存するものは三つだけとなっています
・青岩九寺-竜泉、慈云、観音、朝陽、迎祥、寿佛、圓通、鳳凰、蓮花
・青岩八廟-薬王、黒神、川祖、雷祖、財神、孫[月賓]、東嶽
・青岩五閣-奎光、文昌、云竜、三官、玉皇
・青岩二祠-班麟貴土司祠,趙国[シ樹-木]祠
 趙(以炯)状元故居、青岩書院,万寿宮、水星楼、青岩冷杉


「天河潭」
天河潭
天河潭は、貴陽市から22km離れた西南部の郊外にあります
この地域はカルスト地帯になっており、鍾乳洞が数多く存在しています
現地の人々は、昔から鍾乳洞と伝説や化け物の話を結びつけ、
いろいろ起こった不思議な現象を化け物の仕業として残しています

比較的新しい観光スポットで、その昔、この一帯は洪水に遭うたび、
鍾乳洞や地下水流の狭い出入り口が洪水をふさぎ止めたため、
両岸の村や田畑が水浸しになっていました
地元の政府と観光部門は、1990年から水路を整備し、水害を抑制し、
今では面積15k㎡の「天河潭風景区」を開発しました
「臥竜灘」と呼ばれる観光スポットでは、大小の滝が折れ重なった岩石の
上から、飛沫となって落ちてきており、なんとも壮観な眺めです
また、炭酸カルシウム溶岩でできた石灰化砂州は、その幅なんと
210mもあり、中国最長の石灰化砂州だそうです
他にも、船に乗って長さが約1kmもある地下水流下りもあります


近代化(観光化)が進むことによって、昔より便利になってきている
所ですが、その弊害で美観が損なわれてきているのは、残念に思います
(それでも、景観の美しい所ではあるんですけどねw)
あ、あとちょっとしたトリビアですが、世界遺産にも選ばれている
中国紫禁城(故宮)に使われている木材は、貴州産だそうです
それでは、今日もこの辺で (^・ω・^)ノ またなのだ~

黔霊公園の猿は日本ほど危なくありません(笑)




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