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== 陜西省 ==

宝鶏市!!

今日は宝鶏市(ほうけい)です (^▽^)/
宝鶏市
以前にもちょこっとだけご紹介しましたが、
宝鶏市は陝西省にある地級市になります
この地は「周王朝」および「秦」の発祥の地であった為、多くの
遺跡が残っており、立派な青銅器が多数出土しています
また、紀元前762年(秦文公四年)には陳倉城が建てられました
地図

<市データ>
総面積 18,175km?
総人口 約377万人


「法門寺」
法門寺
以前ご紹介した、北周以前以前からあるお寺です
「仏教の聖地」と呼ばれ、『釈迦』の指部分の遺骨が
納められていると言われています


「大散関」(だいさんかん)
大散関
宝鶏市南、秦嶺北の麓にある関所で、古くより「川陝の喉もと」と
呼ばれており、前206年頃、楚漢が争っていた時、劉邦配下の韓信が
「明修桟道、暗渡陳倉」(蜀に入ると見せかけひそかに秦の要地である
陳倉に渡る)の策を用いた時に、この関を使ったことで有名な所です
(秦の武将章邯は、この策により韓信に敗北しました)
三国時代に、曹操が張魯討伐に出たのもここの関だそうです
陳寿の『三国志』にも、「(建興6年)春、亮また散関を出て、
陳倉を囲む、曹真これをふせぐ」と書いてあります
大散関
現在は、川陝道路脇の崖に「古大散関」の大文字が刻まれており、
この山は険峻で、幾重にも重なっていて、その大きさはまさに
「一夫当関、万夫莫開」(一人の兵が要害の関を守っていれば、
一万の衆もそこを破ることはかなわず)の言葉通りの存在感です
観光として、「旧散関城古跡」「瀑布山」「8字型盤山道」などを
見ることができるが、どれも雄大で壮観です


「炎帝陵」(えんていりょう)
炎帝陵
宝鶏の人々は、神農(炎帝)の故郷に住んでいる「炎黄子孫」として、
何もせず(できず)にいる事に後ろめたさを感じていましたが、
渭濱区益門郷政府が、専門家や学者、宝鶏に関する書誌の研究者などを
招いて、実地調査と文献の記載内容についての論証を重ね、
その結果、神農氏族の始祖~死後埋葬された場所等を明確にし、
神農祠と炎帝陵の改修と、炎黄子孫である中国人が自由にお参りできる、
炎帝を祭る場所の建造を決めました
これは民族文化を発揚し、中華史上に功を残すことになりました
炎帝陵

現在、炎帝陵は陵前区・祭祖区・墓塚の3つの区画に分けられています
陵前区:姜城砦には、「炎帝故里」と書かれている古い牌坊があり、
    砦の東には沐浴殿と九龍亭のある「浴聖九龍泉」があります
    清姜路北の四辻の入口には、「神農之郷」と書かれている
    石の牌坊があり、清姜路中ほどの四辻の入口には、
    「人傑地霊」と書かれている古い牌坊が現存しています
炎帝陵

祭祀区:「炎帝陵」は宝鶏市から南へ約5kmの常羊山にあり、
    山門をくぐると100mに及ぶ階段があり、その階段の上に
    牌坊・山門のある陵台があります
    門の外には石碑が建っており、西安の有名な書家「呉三大」の
    「常羊山」の三文字が彫られています
    常羊山の景色は素晴らしく、谷間には一年中清水が流れており、
    話し尽くせぬ美しい言い伝えもあるそうです
    そのほか、「炎帝廟」(炎帝の生涯や逸話が展示されてます)
    「中国農業展覧館」や「中医中薬史展覧館」などもあります

炎帝陵
陵墓区:炎帝陵の殿堂を南にぬけると、山頂へ伸びる小道があり、
    炎帝陵墓はこの後山の頂上にあります
    何段もある階段をどんどん上っていくと、巨大な円形の陵墓
    があり、墓の周囲は青レンガで築かれており、墓碑には
    「炎帝陵」と彫りこまれています
    周囲は松柏の林で、墓前へいたる道の両脇には歴代の帝王の
    塑像があり、陵の後ろには炎帝の功績を称える詩や、
    対聯、絵画などが並んでいます


「炎帝祠」(えんていし)
炎帝祠
宝鶏市渭河の南に九龍泉という泉があり、
その傍らに唐代に建てられた神農祠があります
中華民族の祖といわれる炎帝を祭ってます
宝鶏では旧暦の正月11日に、九龍泉に集まって炎帝生誕の日を祝い、
7月7日には天台山に集まって炎帝の供養をするそうで、
近年では多くの国内外の同胞が、宝鶏姜水流域にある姜城砦や九龍泉、
天台山へたびたびやって来て、皆の祖先にある炎帝にお参りしています
しかし祠や陵は壊れたままで修復されていないそうです
何故なんでしょうね?(笑)


「金台観」(きんだいかん)
金台観
宝鶏市外の北、陵原にある建物です
台観は宝鶏道教三観(金台、銀台、玉台)の中で最初にできたもので、
元末、明初の創建。明代遼東の道士、張三豊が修行した場所だそうです
『明史・方伎』に、太祖がその名を聞き、洪武24年(1392年)に使いを
差し遣わしたが、探し出せず、後に宝鶏の金台観にうつったという
記載が残っています

金台観は建物全体が山にそって建てられており、左右対称になっていて、
現在は玉皇閣(二階建ての楼閣)、三清殿、八角亭、三豊洞などが残っています
建国後、政府が何度も資金を出して金台観の建物を改修し、現在は
宝鶏市博物館となっており、周秦文化展と宝鶏民間工芸品展が設けられ、
宝鶏地区から出土した商、周、秦代の銅器や鳳翔、千陽など
県の民間工芸の逸品、10点以上が展示されています


「宝鶏青銅器博物館」(ほうけいせいどうきはくぶつかん)
宝鶏青銅器博物館
宝鶏市公園南路の西にある、中国唯一の青銅器を中心においた総合博物館です
敷地面積は1.38ヘクタールあり、建設には2000万元以上が投じられています
平台五鼎」という独特の形をした建物で、「青銅器の里」のシンボル的存在と
なっており、鼎とは青銅礼器の中で最も重要なもので、「団結」「統一」
「権威」を象徴し、[平和]・[発展]・[隆盛]を表しています
宝鶏青銅器博物館
内部は5層に分かれていて、メイン展示ホール、臨時展示ホール、
学術報告ホール、文物商店、管理室などがあります
宝鶏青銅器博物館は、1998年9月8日の正式開館以来、西安文化についての
知識を深めるための格好の博物館として、内外より多数の観光客が訪れています


それでは、宝鶏市のご紹介もこの辺でお終いにします
(^・ω・^)ノ 明日は西安の予定で~す






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