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== 雲南省 ==

麗江市!!(その2)

今日は麗江市のご紹介です(^▽^)/
麗江市
以前(といっても1年近く前)に概要はご説明しているので
今回は観光地をメインでご紹介していきます
以前の
↓↓↓
麗江市!!

この辺りの歴史は古く、旧石器時代以降、新石器時代や青銅器時代、鉄器時代の
遺跡が残り、古くから人類が生存していたことからもそれが伺えます
戦国時代には秦の勢力下に置かれ蜀郡が設置され、漢代には遂久県が設置され
中原支配を受けていましたが、唐代以降は吐蕃や南詔、大理の支配下にありました
1371年に明軍が大理国を征服したことで、この地の領主に麗江宣慰司に任命し
初めて「麗江」の地名が誕生しました
その後、中華民国が成立すると麗江県が設置され、1949年7月の人民解放軍の進出
によって麗江県人民政府が成立、1961年4月には麗江ナシ族自治県となります
1996年の大地震で大きな被害を受けたましたが、翌年の古城区(麗江古城)の
旧市街世界遺産への登録などを契機に復興が進められ、復興はほぼ完了し、
2003年6月8日、周辺地区を統合し地級市に昇格して現在にいたります
民族美女

<市データ>
総面積 7,648km²
総人口 約114万人


「麗江古城」(れいこうこじょう)
麗江古城
麗江古城とは大研鎮そのもの(全体)のことで、
玉龍雪山のふもとになる麗江壩の中部に位置しています
北は象山、金虹山、西は獅子山に面し、そして南東には数十kmに
わたって肥沃な農耕地帯が広がっています
麗江の行政機関と麗江ナシ族自治県の所在地であり、国の歴史文化名城の
一つで世界遺産にも登録されており、古城の景色の美しさや独特のたたずまいを
見せる建築物から、「東洋のベニス」、「高原の姑蘇」などとよばれています
麗江市
麗江古城は南宋の時代(およそ800年の歴史)につくられ、雲南北西地域に
おける政治、軍事の重要な拠点で、ナシ族、漢民族、チベット民族など
各民族の文化経済の交わる中心地でもありました
清代初頭には商人や旅人が盛んに行き来し、貿易の重要な中継地点となり、
その範囲は木里・源塩・永寧・下関・大理・中甸・ラサなど、各地から
多くの商人たちが集まり、特産品や日用品を交換していたそうです
また、その交易ルートはインドまでも達していました


「四方街」
四方街
麗江古城の中心に、規則正しく並んだ賑やかな店によって四角に
囲まれた場所があり、「四方街」と呼ばれています
ここはかつて雲南、四川、チベットなどを結ぶ交通の合流地点で、
清代初めから各地の商人たちがここへ交易に訪れ、麗江古城は雲南北西地域
において重要な商品の集積地と、手工芸品の産地となっていた名残です
ナシ語ではここを「工本」と呼び、工本とは
「倉庫が集まっている地域」という意味になります
チベットの毛織物や山で取れる薬材はここ麗江を通って中国内へ送られ、
シーサンパンナ、鳳慶、下関などのお茶や日用品も麗江からチベットへ
運ばれていました
四方街
現在でも、四方街は麗江の有名な交易市場で、色とりどりの民族衣装をきた
各民族の人々がここで商品を売買し、麗江古城で最も賑やかな場所になります
四方街の道路は広く、主だった4本の通りが周囲へ放射状に伸びており、
その4本の通りはさらに小さな道に枝分かれし、網の目のようにあちこちへと
通じていて、一本一本の小道は色とりどりの石が敷き詰められ、雨季に泥だらけに
なったりせず、夏にも土埃が立たないように工夫されています
四方街には河の水を利用して道路をきれいにする昔の装置が残っていて、
定期的に路面の清掃がなされ、古城はいつも清潔に保たれています
麗江を訪れたら、見逃せない所の一つです


「木府」(もくふ)
木府
木府は麗江古城の獅子山のふもとに位置する、木氏の屋敷です
占有面積はおよそ9ヘクタールあまりで、全ての建物は東向きに建っています
木氏はここへ定住して以来、明朝が滅亡するまでずっとここを統治していました
その木府は清の咸豊年間(1851年から1861年)に大部分が戦禍によって破壊され、
運良く残っていた石碑坊も文革で破壊されてしまいます
1996年、麗江地方政府はもともとあった木府を基本に
大規模な修復工事を行い、現在の姿に整えました
今の木府も明代の中原の建築様式を受け継ぎ、また同時に唐宋代の
飾り気のない雰囲気も残しており、木府内には水路が縦横に張り巡らされ、
ペー族とナシ族の伝統的な特徴を見ることができます
木府
三精殿の前か獅子山の上から麗江古城と木府を見下ろすと、徐霞客か描写した
「民房群落、瓦屋櫛比(民家が立ち並び、屋根の瓦が櫛の歯を並べたようだ)」
という光景を目の当たりにすることができ、古城に立ち並ぶ民家の屋根が
空の色を映して青黒く、細く波立つ湖のようで、また大きな水墨画を
広げたようにも見え、歴史の奥深さを感じることが出来ます


「万古楼」(まんころう)
万古楼
獅子山山頂にある五層の楼閣で、22mの高さの16本の木の柱が
各層を貫いている様式で作られる、中国の木造建築で最初の楼閣です
楼閣には「披星戴月」など2300の吉祥図案が彫刻で施され、麗江に暮らす
23の民族を象徴しており、また龍の彫刻の装飾は9999あり、楼閣の屋根の
てっぺんの一つをあわせると「万龍万古之盛(一万の龍は永遠の繁栄)」
になり縁起が良いとされています
万古楼の上からは麗江壩全体が一望でき、北には玉龍雪山の13の峰が連なり、
東には麗江古城とまるで故宮の建築群のような木府が見渡せます


「黒龍潭」(こくりゅうたん)
黒龍潭公園
黒龍潭公園は象山のふもと、麗江古城の北端に位置します
清の乾隆年間に地元のナシ族の人々がここに「玉泉龍王廟」を建て、
乾隆帝が「玉泉龍王」を封じたことから、龍王廟とも呼ばれています
園内には龍神祠、得月楼、鎖翠橋、玉皇閣、また後にここに移された
明代の芝山福国寺解脱林の門楼や五鳳楼、もともと役所だった明代の光碧楼、
清代の聴鸝榭、一文亭、文明坊などの建築物が点在しています
黒龍潭公園
五鳳楼は法雲閣とも呼ばれ、元は芝山福国寺にあったのですが、
1979年に黒龍潭に移されました
福国寺は明代に建てられたが、もともとは土司(地方の支配者)で
あった木氏の別荘と廟であり、木氏は寺院内で、明代の有名な旅行家で
地理学者でもあった徐霞客と会見を行ったこともあります


「トンパ文化博物館」(东巴文化博物馆)
东巴文化博物館
麗江ナシトンパ文化博物館は黒龍潭公園の傍らにあります
面積は約1.8ヘクタール、博物館の建物はナシ族の四合院式で、
そこの地形や玉泉水源、象山の景観など自然条件を十分に利用し、
中庭を中心にした建物の並びになっています
东巴文化博物館
博物館にはナシ族の民家が発展していく様子を、古代人の南向きの
洞穴住居から、簡単なねぐらを作った住居、竪穴式住居、テント式の住居、
手すりの付いた木造の住居、三坊一照壁、四台五天井など、異なる段階の
伝統的民家をつくって紹介し、また各時期のナシ族の生産力のレベルがわかる
風俗文化資料も展示してあり、さらに「祭天」「祭風」「祭署(自然神)」などの
風俗や宗教儀式の様子を、「トンパ祭祀儀式」を再現してあります
このほか、トンパ文化に関する色々な絵文字の紹介を見ることができ、
また経典や絵画、祭祀に使う道具などの実物やナシ族の昔の生活用品なども
展示してあり、トンパの歴史について細かく紹介されています


流すように紹介してきましたが、これで市内の観光地だけです
長くなりますので、郊外・その他は次回にまわします
それでは、今日はここまでです (^・ω・^)ノまたね~

黒龍潭公園



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