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== 新疆ウイグル自治区 ==

バインゴリン・モンゴル自治州

今日はバインゴリン・モンゴル自治州という
長い名前の自治州のご紹介です(笑)

バインゴリン
バインゴリン・モンゴル(巴音郭楞蒙古)自治州は、
新疆ウイグル自治区の東南部に位置します
新疆最大の地方行政単位であり、総人口約114万人に対し
漢族が約68%を占めています
逆にモンゴル族人口は5万人程にしか過ぎず、ウイグル族の方が
37万人と多いのですが、なぜかモンゴル自治州です(笑)

地図

首府はコルラ市になりますが、地図からでも分かるように
新疆最大の面積(472,472.1km²)を誇っており、古くからシルクロードが
域内を貫通し、西域の三十六国中、楼蘭・若羌・且末・小宛・戎戸・山国・
輪台・焉耆・尉犁・渠犁・危須の十一国がこの地域にありました
現在のこの長ったらしい地名になったのは1954年6月23日の事ですが、
その時はバインゴルン・モンゴル自治区とコルラ専署に分割されていました
1960年12月にコルラ専署がバインゴルン自治州に編入され、
州政府所在地が焉耆からコルラに移り、現在に至ります
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「ボグダシャール故城」(博格达沁故城)
ボグダシャール故城
またの名を「四十里城子故城」とも呼ばれるこの故城は、
コルラから40㎞離れたイエンチー県の四十里砦の東側にあります
ボグダシャールとはウイグル語で「雄大な城壁」という意味で、
イエンチー盆地にある中で最大の古城遺跡で、敷地面積は6k㎡、
周囲は3000mにも達しているそうです

ボグダシャール故城
現存する城壁は高さ約1.5m~2mで、南東と南西にそれぞれ幅10mの門があります
城内には建物の土台跡が2箇所ほど残っているだけですが、
この故城からはこれまでに漢のコインや唐銭、ペルシャ銀、
金銀装飾品、ビー玉、陶器などが発見されています
故城の位置や規模、出土品からして、ここは漢のイエンチー都城であった場所
であり、唐の頃のイエンチー都督府、イエンチー市であったと推測されます



「鉄門関」(てつもんかん)
鉄門関
コルラ市内から北に8㎞程行った、天山山中にある砦です
古来から軍事的要塞として使用された砦であり、そばの絶壁には隷書で
「襟山帯河」と書かれていて、この4字は鉄門関の険しさ、
守りの強固さ、水流の激しさを表していそうです
近くの山の斜面には今なお古代の屯田兵跡が残されています
鉄門関

前漢には「張騫」が武帝の命を受け西域に向かう際にここを通り、
後漢には「班超」がそばを流れる孔雀河で馬に水を飲ませたといいます
このため孔雀河は別名「飲馬河」とも呼ばれています
唐代の辺塞詩人「岑参」もかつてここに登り、その険しさを詩に詠んだそうです
鉄門関

また、こんな民間伝説も残されています
昔イエンチー国の皇女が羊飼いと恋に落ちたが、国王は悪い丞相に
そそのかされ羊飼いを殺そうとしました
それを知った皇女は愛する人を救おうとしますが、さらに悪い丞相は
王様を唆し、二人はお尋ね者になってしまいます
逃亡の際、二人が馬で鉄門関を抜けようとした時、不幸にも馬もろとも
深い谷底に落ちて亡くなってしまうという悲しいお話です
向かい側の公主峰には、後の人々が二人のために建てた墓もあります



「ジョクト・シン古城」(卓果特沁古城)
ジョクト・シン古城
ルンタイ県の中心から南東20㎞の位置にある、後漢から唐の時代の遺跡です
城は土製の3重構造だと伝えられ、円形で周囲の長さは約1200mあったそうですが、
城壁はすでに崩れ、高さ6~7mの土の丘が残されるのみとなっています
城内には小さな湖があり、中央には古代建築物らしき高台があります
この城は漢代の屯田兵の将校の城だったと伝えられています



「楼蘭故城」(ろうらんこじょう)
楼蘭故城
チャルクリク県から北東に300km離れたロプノールの北西湖岸にあります
古代には水草の生い茂る平坦な土地で、農、牧、漁業ともに発達しており、
当時はシルクロードの要塞としてその名を広く知られていました
タリム盆地に人類が暮らし始めてすでに1万年以上になりますが、
驚くことにタリム河とタクラマカン砂漠に残る古城はどれも
4~5世紀の間に忽然と姿を消しています
しかもその位置は、現在人類が生活している場所から50~200㎞も
離れた奥深い砂漠の中だと言うことです
楼蘭故城
これまで多くの学者達が、楼蘭古城の隆盛と衰退、消失の謎を
解き明かそうと試みましたが、いまだに誰一人成功していません



「ミーラン古城」(米兰古城)
ミーラン古城
チャルクリク県から東に80㎞離れた敦煌に通じる大通り沿いにあります
19世紀にイギリスのスタインが発掘し、50年代に入って漢代の灌漑用水路跡が
発見され、1973年には唐代の吐蕃の砦が発掘されました
史書によれば、前漢時代には楼蘭王国の伊循城だったが、
唐代になると吐蕃の侵略を受けその軍事堡塁となっていたようです

ミーラン古城
古城は周囲が308mあり、厚さ6~9mの城壁を持っていたようです
城壁の西と南の壁に出入り口跡が残っており、東側と北側には住居跡と
見られる家屋の断片が残っています
ここから吐蕃文字で書かれた大量の木簡や兵器、食料や毛織物などが出土しており、
古城の周りにも多くの寺や仏塔、灌漑水路跡などが残されています



「チャルチャン故城」(且末故城)
チャルチャン故城
チャルチャン県に位置し、漢・唐代の故城遺跡が多く存在した記録はあるのですが、
残念ながらその多くは風化を受けて崩れ、砂に埋もれてしまっています
県の中心部から南に5㎞離れたトグラクリック故城は唐代のもので、50年代に陶器や
ヒスイの装飾品、家屋、古代の小麦などが発掘され、数体のミイラも出土してます
飛行場北にあるホーシライク故城では、1968年に家屋や洞穴、十数体のミイラが出土
この他にもタタラーン故城、クラミーラン故城などがあるそうです
目で見える遺跡ではない為、観光地としては?ですが、一応ご紹介しました(笑)



「ザグルック古墓群(扎滚鲁克古墓群)
ザグルック古墓群
チャルチャン県ザグルック村から西に2㎞離れたオアシスにあります
墓地は建造時期によって、前且末国時代、且末国時代、
後漢から魏晋時代の3時期と広い期間に渡ります

ザグルック古墓群
現在、墓地が5ヵ所と墓が1000基近く発見されており、東西が750m、
南北が1100mある1号墓地には墓が比較的集中しいます
構造は長方形竪穴土坑墓、長方形竪穴土坑棚架墓、洞室墓などで、
前且末国時代、且末国時代の墓は合葬が主であったようで、
後漢から魏晋時代には1人又は2人の墓(単独)が多く発掘されています
ここからは木製の「縦型くご」という楽器が出土しましたが、
これは保存状態が良く、発見された中で最古のものだそうです
このほかにも特色ある陶器や骨木器、精緻な毛織物や刺繍などが出土しています

ザグルック古墓群
ザグルック古墳群は、古代且末国の地域文化の鮮やかな特徴と、
シルクロード文化と北方草原文化の交流を示すものであり、
学術的にも貴重な資料となっています


これでバインゴリン・モンゴル自治州のご紹介は終わります
シルクロード時代に繁栄を極めていた地域ですが、やはり砂漠も近い為、
せっかくの歴史遺産も砂に消えてる物が多いのが残念な所です

それでは、(^・ω・^)ノ再見~♪

モンゴル美女




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== Comment ==

こんにちは。
1枚目のお写真、とても綺麗です!
壁紙にしたいくらいです。

最近、こちらのブログは
始めに記事を読まずにスクロールして
写真(特に最後の1枚)を確認することに
しています(笑

奥様には、内緒でお願いします。

ウイット 様
今日は~!
コメント有難うございます!
最初の1枚も最後の1枚もご自由にお使い下さい!(笑)
No title
バインゴリン・モンゴル自治州は総人口約114万人に対しモンゴル族人口は5万人程なんて意外に少ないんですね。歴史遺産は砂を掘り返して再現できないものなんでしょうか。
まだまだ寒い日が続いています。私は先週風邪で熱が出て2日間行引火酔いをしていました。
ごーさん 様
コメント有難うございます!
そうですね~お金にならない事は、中国ですから.......!
お身体、お気をつけて下さいね!





        
 

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