== スポンサー広告 ==

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
┗ --:--:-- ━ Page top ━…‥・

== 新疆ウイグル自治区 ==

イリ・カザフ自治州!!

今日はイリ・カザフ自治州についてです (^▽^)ノ
イリ・カザフ自治州 州都
イリ・カザフ自治州は、新疆ウイグル自治区の最北部に
位置しているカザフ族の副省級自治州になります
グルジャ(伊寧)市を州都としていますが、
全国で唯一「タルバガタイ(塔城)」と「アルタイ(阿勒泰)」
の2地区を管轄している地区級行政になります
地図

カザフ族(哈薩克族)は、元々山中などで羊を中心とした遊牧民族で、
中央アジア西北部のステップ地帯に広がって居住するテュルク系民族になります
ソビエト連邦時代はカザフ・ソビエト社会主義共和国、ソ連崩壊後は
カザフスタン共和国となっており、カザフとは「自由な戦士」
「ステップの放浪者」という意味になります
カザフ族
カザフ族の歴史については、長くなるので省略しますが、現在でもかなりの
部分が、天山山脈およびアルタイ山脈の一帯で遊牧生活を営んでいます
彼らはモンゴル族のゲルと、ほぼ同型のフェルト張りの「ユルト」と呼ばれる
テントに一家族が住んでいて、この家族が7~10戸集合したものを「アウル」
といい、伝統的に遊牧の単位となりました
カザフ族
馬乳を発酵させたクミスという低アルコール分の乳酸飲料やパンの一種「ナン」は
日常的に欠かせない食材であり、春から夏にかけては羊肉を主に食べ、秋から
冬には馬の腸に馬肉を詰めて燻製にしたソーセージがよく食べられています
2000余年前にその強さと美しさによって漢の武帝に「天馬」とたたえられた
イリ馬を生み出したのもこの部族です
カザフ族
中国領内では、おもに新彊ウイグル自治区のイリカザフ自治州、
木塁カザフ自治県、巴里坤カザフ自治県と昌吉回族自治州などの
各県に居住するほか、一部は青海省、甘粛省にも居住しています
中国全土のカザフ族の人口は300万人ほどであり、
そのうちイリ・カザフ自治州に130万人居住しています
カザフ族



「伊犁河」(いりが)
伊犁河
イリ川とも呼ばれるこの河は、伊寧市から16km離れた郊外にある新彊最大流量を誇る
内陸河で、ここイリかららカザフスタン南西部のアルマトイ州にかけて流れています
(全長1,439kmのうち815kmがカザフスタン領)
天山山脈西部に源を発し、コルガス河口でカザフスタンに入り、最後はバルハシ湖へ
流れ込む風光明媚な河で、古くは「塞人」「月氏人」「烏孫人」「突厥人」などが
流域に暮らし、唐代の征西軍やチンギスハンもこの河を渡りました

伊犁河
伊寧市付近の川床は幅1㎞以上もあり、広い川原と多くの砂州や島を持つ美しい
景観が広がっており、夏には大勢の人が避暑にやってきます
また、伊寧市から最も近い箇所に、1975年に鉄筋コンクリート製の双曲アーチ橋の
「伊梨河大橋」が架けられ、その近くには公園も造られて、休日には多くの人々で
にぎわい、夕暮れ時には多くの写真愛好家が集まる撮影スポットとなっています



「那拉提大草原」
那拉提大草原
伊寧市にある、チンギスハンが西征する際に名づけられた草原です
(ただそれだけです(笑))



「林則徐記念館」(りんそくじょきねんかん)
林則徐記念館
林則徐はアヘン禁止を叫び、イギリスに対抗した民族の英雄ですが、
アヘン戦争後に役職を解かれ伊梨に左遷されました
林則徐記念館
ここで彼は逆境にありながら、人々のために開墾や灌漑用水路の建設を行いました
伊梨の各民族から尊敬され慕われた林則徐を称えて、この記念館が建てられたそうです
伊寧市の経済協力地区に位置し、敷地面積 10000㎡、建物面積2000㎡の記念館には
林則徐に関係している物が2000点以上が陳列されています



「恵遠古城」(けいえんこじょう)
恵遠古城
伊梨河の北にある霍城県の南東7kmに位置し、伊寧市からは38kmの位置にある
清代に建設された「伊梨九城」の1つで、新旧2つの城があります
ここは歴史上で中央アジアに通じる重要路で、清代には
伊梨将軍が駐屯し、新彊の軍事・政治の中心として活躍しました
旧城は1763年(清の乾隆28年)に伊梨河の北岸に面して建てられましたが、
後に水害に遭い、その後1871年(清の同治10年)に帝政ロシアの侵略を
受けて倒壊、1882年(清の光緒8年)に伊梨が奪回された後に、
旧城の北7.5kmの位置に新たに城が建設されました
清代に新彊の最高軍政長官である伊梨将軍が駐屯したことから、
伊梨大城とも呼ばれています

恵遠古城
旧城は高さ5m、周囲5.6kmの雄大壮観な建造物で、その建設後相次いで
周辺に8つの城も建設され、あわせて伊梨九城と称されています
ですが、九城も帝政ロシア侵略の際に破壊されました
新城は旧城の北15kmの位置に、旧城と同様に造られました
かつては林則徐がここで灌漑用水路建設の指揮を取ったといわれています
伊梨将軍府の旧跡は新城の東側にあり、門、石獅子、金庫、部屋から
庭園のあずまやにいたるまで、保存状態も良く残されています



「トゥグルク・ティムール廟」(秃鲁克帖木尔汗麻扎)
トゥグルク・ティムール廟
トゥグルク・ティムールはチンギスハンの7代目の子孫にあたり、
伝説的なチャガタイ・ハン後国の王になります
彼は1346年、わずか16歳でモグーリスタン・ハン国王に擁立され、
18歳でイスラム教に帰依、配下の16万のモンゴル人にも帰依を
強制したため、新彊でイスラム教が急速に普及しました
1360 年には一時的にだがチャガタイ・ハン国を統一し、1363年の没後は、
今の霍城県北東部にある大規模なアーチ型のマザールに埋葬され、
葬儀もイスラム教式に執り行われたそうです
今でもイスラム教徒や内外の観光客でにぎわっており、廟と並んで建っている
小さめのアーチ型の陵墓は、トゥグルク・ティムールの妹の墓だそうです



「コルガス」(霍尔果斯)
コルガス
観光地と言って良いのかは解かりませんが、伊寧市から42㎞離れた
霍城県にあるカザフスタンと国境を接する検問所です(つまり国境)
新彊ウィグル自治区にある3大国境の町の1つで、新彊と中央アジアを
結ぶ重要な貿易港となっており、大型のトラック等が貿易の為に
頻繁に走っています


「ラベンダー畑」
ラベンダー畑
こちらも観光スポットではないのですが、グルジャ(伊寧)市の
ラベンダー栽培地区は中国最大のラベンダー産地になります
毎年6月頃の収穫時期になると、住民はラベンダーの刈り取り作業に
大忙しになり、辺りはラベンダーの香りに包まれるそうです
「中国ラベンダーの郷」とも呼ばれており、ドライフラワーや
ラベンダーオイルなどの生産量は中国全土の95%を占めています


以上で今日のご紹介も終了です
(^・ω・^)ノ see you NEXT♪

バイバイ




ランキングに参加しています、あなたの清き1クリックを!!
 人気ブログランキングへ にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ



┃ テーマ:みんなに紹介したいこと ━ ジャンル:ブログ

┗ Comment:2 ━ Trackback:0 ━ 10:30:00 ━ Page top ━…‥・

== Comment ==

No title
ラベンダー畑綺麗ですね。
私は2004年ごろ北京でスナックを開業していたころお店の名前がラベンダーでしたので思い出深い名前です。
そして私の夢はモンゴルに行って馬に乗り高原を駆け回ることです、いつか夢を実現したいです。

ブログ仲間から厄介な【バトン】というのが回ってきました。ぼやきさんに回しますのですみませんがよろしくお願いします。

ごーさん 様
今晩は~!
北京でスナックやっていたんですか~?凄いじゃないですか~!
北京では、日本料理の小林さんとか、ゴルフの那須さん位しか友人が
いませんが、今の所では何も?それと、内モンゴルでも夏には馬に乗れますよ~!





        
 

== Trackback ==

http://momotaroublog.blog39.fc2.com/tb.php/437-ae55d2c6
 
Prev « ┃ Top ┃ » Next
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。