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== 雲南省 ==

大理白族自治州!!

今日は大理白族自治州のご紹介です (^▽^)/
大理
前にも一度ご紹介してますので、簡単に
大理石の街 大理!!
大理白族自治州は、雲南省に位置する自治州で、その人口の半数を漢族が占め、
残りは少数民族、その内白族(ペー族)は全体の3分の1を占めています
白族

大理が歴史に登場したのは、前漢の元封年間(前110年-前105年)の頃で、
大理地区に葉榆、雲南、邪龍、比蘇の四県が設置され益州郡の管轄化にありました
その後南詔や大理国が成立した際には、都城が大理に置かれていましたが、
元代に雲南の中心は昆明に移り、この地域には大理路などが置かれました
明・清代は大理府と改称され、1956年11月22日に大理白族自治州が設置され、
現代に至ります


「洱海公園」(じかいこうえん)
洱海公園
前回ご紹介を忘れてましたが、大理の観光と言ったらまず名前が挙がるのがここ
下関市洱河南路を東へ1km、市街地の新橋から約2.5kmところにあります
大理の名勝地の一つで、またの名を団山公園、唐代には息龍山と呼ばれ、
かつては南詔国の王家の鹿の飼育場だったことでも有名です

洱海公園
洱海は、中国の淡水湖では7番目の大きさにあたります
(雲南省では滇池に次ぐ2番目の大きさ)
全体の形が少し曲がっていて、耳の形に似ていることから、耳海と呼ばれ、
固有名詞化するために「洱」という字が作られたと言われています

洱海公園
市街地から見るとこの山は丸い形に見えるので「団山(公園)」と
呼ばれてますが、蒼山の斜陽峰の中腹まで登ってここを見てみると、
丸では無く東西に細長い形をしていることがわかります
市街地側にあたる西のほうが高くなっていて、東に向かってだんだん低く、
北の斜面は比較的急で、南斜面の地形は緩やかになっています
南詔国時代は洱海周辺の山々には木が生い茂り、野生動物がたくさんいました
中でも鹿が有名で、歴史書『雲南志』にも「洱河(洱海)西側の山々には皆鹿がいる」
「龍足の鹿は昼間三十から五十頭の群れで草を食んでいる」と記述があるほどでした
南詔国当時は団山を息龍山と呼んでいて、南詔はここで鹿を飼い、狩りをして
いましたが、時代は移り、鹿の飼育場も無くなりました
近代になって、団山に土地を選んで「珠海楼」が建てられ、たくさんの人々で
賑わっていましたが、惜しいことに1940年代に取り壊されてしまったそうです

洱海公園
1975年初め、下関市は特別に予算を組んで団山公園の拡張工事を行いました
まず望海亭、地質亭、海心亭、桜花亭、水亭、観海長廊、風鈴搭、
テレビ塔などを建設し、団山の登山用の石段を造りました
また海水浴場、情人湖、動物園、遊園地など観光施設を整え、
そして大理石の一種漢白玉で彫った「漁家女」像を置きました
さらに新しく息龍賓館、金海岸クラブなど食事や宿泊のできる場所も用意し、
公園は1976年12月16日に落成、名前を「洱海公園」と改めました
山頂遊覧区には花壇、展示室、展望台、回廊があり、現在花壇の苗木畑9hが
作られており、植えられた木や草花は1000種余りにのぼり、
その中には大理特有の植物もあるそうです
頂上からの眺めは風光明媚で、「高原の真珠」として
国家級の重点風景名勝区となっています



「大理州博物館」(だいりしゅうはくぶつかん)
大理州博物館
大理白族自治州博物館は大理市下関洱河南路8号にある
雲南省で最初の州立博物館で、1986年に建てられました
博物館の総面積は8800㎡、展示面積は4600㎡あり、公共のスペースが
総面積の4/5を占め、今の世界レベルの設計基準を完全に満たしています

大理州博物館
大理地方には4000年余りの文明の歴史があります
唐宋時代にはここには南詔国と大理国の二代にわたって地方王朝がたち、
唐代以来南方のシルクロードの中枢を担ってきました
白族自治の大理州は、古来より中原地域の進んだ文化に育まれ、独自の
文明史を創りあげてきており、これまでの蓄積された豊富な文化によって、
現在国、省、県と市の重要文化財保護単位の指定を受けているものは、
合わせて266項目にも上ります
白族自治州は全国にある30の少数民族自治州の中で、最も文化財や遺跡の多い
自治州で、国が進める考古学と発掘調査において重要な地域となっています

大理州博物館
大理州博物館は南詔国、大理国時代の歴史や文化に関する展示物が中心で、
青銅器、陶磁器、石刻芸術を主体にし、白族の文化や風習など地方性を
持った総合博物館で、大理白族自治州が文化財の調査、発掘、収集、収蔵、
展示、研究を行う中心機関にもなっています
また、開館当時からの収蔵品の規模は歴史文化、民族文化、革命文化などに
関するものやその他資料、大理石製品など7000点余りもあり、
そのうちの多くはここにしかない貴重なもので、銅鼓、編鐘、鋳型、
馬紋銅斧、西漢から晋代の水田の模型、陶製の家や人物、馬、各種陶器、
南詔大理国時代の阿嵯耶観音、弥勒菩薩、天王力士像など、
異なる素材の仏教関連の塑像や金剛降魔杵、塔の模型、
大理国写本の経典、元明代の陶磁器、大理石の自然の模様でできた
「孔雀開屏」や「美猴出世」など、とても貴重です

館内には合わせて12の展示ホールがあり、そのうち8つが
常設展示ホールとなっています
「青銅器文化」「南詔大理国文化」「南詔大理国石彫芸術」「陶磁器」
「南詔大理国絵画芸術」「大理石作品」「大理近現代革命史蹟」「白族民俗」

大理州博物館
大理州博物館には開館以来毎年中国内外から延べ10万名を越える見学者が
訪れており、これまでに20の国と地域の政界や学界の主だった人々の
視察を受け入れ、中国国外との関連業務も果たしており、
また、白族自治州の対外開放政策の重要な窓口となり、さらに中国国民に
対しての歴史唯物主義、弁証唯物主義、愛国主義教育の拠点として
国から「全国小中学生愛国主義教育の基地」と呼ばれています



「周城」(しゅうじょう)
周城
周城は大理古城の北23kmところに位置し、喜洲鎮に属しています
人口8000人、1500戸余りの白族の村で、白族民俗観光村として開放されています
村の中には石畳の道が入り組み、大木が何本も葉を茂らせていて、
木の下にある小さな広場には古い劇の舞台が残っており、
その周りには店が並び、村の娯楽の中心になっています

周城
ここでは白族独特の造りをした民家や彫刻が施された建築物、市場、
絞り染めをしているところなどを見学する事ができ、
運がよければ、白族の結婚式にも参加できるそうです
また白族の料理を味わったり、民間工芸品を買ったりできますが、
買い物をする時はかなり吹っかけられるので、腕の見せ所だそうです(笑)
周城の手工業は絞り染めの布と刺繍が盛んで、海外でも取引されています



「三塔倒影公園」(さんとうとうえいこうえん)
三塔倒影公園
大理古城の西門から北へ向かって1km、桃渓橋を渡り大通り沿いに
北へ進むと三塔倒影公園にたどり着きます(崇聖寺からは南に1km)
園内の池に三塔がさかさまに映った景色は有名です

この公園は1980年代に造られ、面積は約5.4ヘクタールあります
公園の門をくぐると大理石で造られた幅6m、高さ4mの白族独特の
建築物「照壁」が出迎えてくれます
公園の中心には楕円形をした 2ヘクタール余りの大きな池があり、
池の水は碧く澄んで、崇聖寺三塔をくっきりと水面に映しています
実際の崇聖寺三塔は高すぎる上に一つ一つの塔が離れているため、
崇聖寺からではカメラには収まりきらないのですが、ここだと
池に映る三塔と漾波亭や池に浮かぶ小さな島まで一緒に写真に
撮ることができる為、絶好のスポットとなっています

三塔倒影公園
また月の輝く夜になると、くっきりと水面に映った三塔の周りに
星がきらめき、その景色は格別に美しくなります
さらに毎年冬には三塔の背後に連なる雪化粧した蒼山が、
水面の三塔の影をさらに美しく引き立ててくれます


「喜州」(きしゅう)
喜州
喜州は大理古城の北18kmに位置し、東は洱海、西は蒼山を背にしています
村の住民のほとんどが白族で、大理と白族を理解するには、
まず喜州を理解しなければ始まらない、とまでいわれている所です

喜州
村の中には白族独特の造りの民家「三方一照壁」や「四合五天井」、
彫刻や絵で飾られた建築物、四反り返った屋根、門楼、太陽の光を反射する照壁、
山形の壁などがあり、白族の建築の才能や芸術的創造力の高さを物語たっています
また村に入ると二本の大きな木が目に飛び込んできます
中国の北方地域ではめったに見られないガジュマルの木で、白族の人々は
村の繁栄の象徴として「風水樹」と呼んでいるそうで、古い白族の村には
必ず自分たちの風水樹があり、通常劇を演じる舞台とセットで
村の住民たちの活動の中心となっているそうです
喜州にあるこの二本の木はかなり古く、伝説ではこの二本は陰と陽の木で、
一本が芽生えると一本が葉を落とし、もう一本が実を結ぶと
もう一本には実がならないといわれています

喜州
喜州の中心である四方街には、店に囲まれた小さな広場があります
そこには「文明坊」と呼ばれる石造りの建物が建っており、
これは近年建てられたものだが、もともとあった建物は「題名坊」と呼ばれ、
明代に建てられたもので、当時科挙試験に合格し、成功をおさめた
村民たちの名前が刻まれていました

喜州
現在では喜州は行政区画の一つにすぎませんが、昔は一つの都市としての
規模を誇っており、南詔国が洱海周辺に移ってくる前は、
ここは白族の先住民「河蛮」の村で、当時は大厘城と呼ばれていました
隋の文帝の頃に「史万歳」という将校がここに兵を連れて入ってきて
「史城」と名づけ、南詔の時代になるとここに宮殿が建てられました
南詔時代ここは重要な軍事拠点で、国のために多くの人材を輩出し、
また商工業も発達し、かつては雲南の商業貿易の中心地のひとつでした


いかがだったでしょうか?
以前ご紹介してなかった所をご紹介していきましたが、
観光に良い所だと思いますので、一度どうぞ
それでは、今回もこの辺で (⌒∇⌒)ノ""マタネー!!

大理





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