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== 三国志 ==

石家庄(石家荘)市

今日は石家庄(せっかそう)市のご紹介です  \( ̄∇ ̄*)
石家庄市
順番からいえば次は『張飛(字は益)』なのですが、
実は張飛は涿州市の出身でした(書き忘れていました(><))
河北省石家庄市は涿州市の南西に隣接する副省級市で、
『趙雲(字は子龍)』の出身地です

趙雲
五虎大将の一人「虎威将軍」の趙雲は、当初公孫瓚の元にいましたが、
公孫瓚亡き後、密かに募った数百人の兵を連れて劉備の配下となりました
劉備達と義兄弟まではなりませんでしたが、文武両道の上に実直な人柄で、
長坂坡では曹操軍百万の中単騎で駆け抜け劉備の子阿斗を救ったとか、
その時に敵将五十人余りを討ち取り、曹操の青の剣を手に入れるなど
数々のエピソードが残っています
趙雲(老)
劉備からは「子龍は一身これ胆なり(子龍は度胸の塊の意)」と賞賛され、
諸葛亮は”趙雲の死は国家の棟木が落ちたようなもの。片腕を失った”と
趙雲の死を悲しんだそうです

「正定趙雲像」
正定趙雲像
正定県にある趙雲像です
正定の誇りである“趙雲子龍”はまさに街の顔で、入口には“子龍故里”と
刻まれた大門が建てられています

「趙雲故里」
趙雲故里
清の道光年間頃に建てられた廟を修建して1997年にオープンした
趙雲をまつった廟で、廟門・四義殿・五虎殿・君臣殿・順平侯殿から
構成されており、順平侯殿には、清代の“漢順平侯趙雲故里”の碑があります

正史記述では「身長八尺、姿や顔つきが『際立って』立派」の
『趙雲子龍』生誕の地、ぜひ行って見てください ヽ(^▽^)ノ

追記で先程「張飛」がでましたので、説明を少し
張飛
涿郡出身で、黄巾の乱の時に劉備・関羽等と共に参加しました
以後は終生、劉備から兄弟の様な親愛の情を受けることとなり、
関羽の方が数年年長であった為、関羽を兄のように敬愛していました
張飛は、程には『一人で一万の兵に匹敵する』と、
劉曄には『武勇は全軍で群を抜く存在である』と評されており、
周瑜にまで『張・関を従えれば大事業も成せる』と評されるなど、
その武勇は敵の曹軍にも孫軍にも高く評価されていましたが、
しかし、士大夫と呼ばれる知識人層には紳士的にふるまったものの、
身分の低い者、兵卒などは軽視していて、兵士に当り散らしたりしていた為、
このことを劉備に常々注意されていましたが、張飛は改める事が出来ず、
かねてから張飛に恨みを抱いていた部下の張達・范彊に殺されました
劉備は張飛の都督から上奏文が届けられたと聞くと、
その内容を聞く前に「ああ、(張)飛が死んだ」と悟ったといわれています

趙雲・関羽・張飛
また、明末期の笑話集『笑府』に張飛の面白い逸話が載っています
「ある男が、野ざらしになっていた骸骨を見つけ、気の毒に思って供養をしてやった
 その晩、男の家の戸を叩く者があり、「誰だ」と聞くと「妃(フェイ)です」と答える
 さらに訪ねたところ、「私は楊貴妃です。馬嵬で殺されてから葬られることもなく
 野ざらしになっていたのを、あなたが供養して下さいました
 お礼に夜伽をさせて下さい」と答え、その晩、男と夜を共にした
 これを聞いて羨んだ隣の男が、野原を探し回ってやはり野ざらしになった
 骸骨を見つけ、供養したところその晩やはり戸を叩く者があった
 「誰だ」と聞くと「飛(フェイ)だ」と答える
 「楊貴妃かい」と訊くと「俺は張飛だ」という答えで、
 仰天して 「張将軍には何ゆえのお来しで」と訪ねると、
 張飛曰く「拙者、漢中で殺されてから葬られることもなく
 野ざらしになっておったのを貴殿に供養していただいた
 お礼に夜伽をさせていただきたい」と言い、男は仰天したそうです」
これを日本で翻案したのが、落語『野ざらし』だということです


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